第二章「旅立ち」-Departure-
夜明けの空がほんのりと朱に染まり始めた頃、マンジャロとランカは旅立ちの時を迎えた。
チャガの民とココペリ、チムニーが見送る中、涙をこらえながら別れを告げる。
「これを持って行きなさい」
チャガの民の長老が、そっと二匹の首にネックレスをかけた。
そこには、古い文字が刻まれた神秘的な石がぶら下がっていた。
「旅の安全と幸運を祈る」という願いが込められたお守りだった。
特にチムニーはマンジャロの足にしがみつき、大泣きしながら別れを惜しんだ。
「ずっと一緒にいたい……」
しゃくりあげるチムニーの頭を、マンジャロはそっとなでる。
「また会おうな」
寂しさを隠すように微笑むマンジャロ。しかし、その目にも涙が滲んでいた。
二匹は静かに歩き出した。後ろからチムニーの泣き声が遠ざかっていく。
***
旅が始まった。
一日目、マンジャロはずっと下を向いたままだった。
二日目、ランカはマンジャロに話しかけたが、マンジャロの耳には届かない。
三日目。とうとうランカは怒り、マンジャロの頭を拳でゴンッと殴った。
「何すんだよ!」
マンジャロが顔をしかめると、ランカの目には涙が浮かんでいた。
「前向いていこ」
それだけ言って、ランカはそっぽを向く。
マンジャロはしばらく呆然としたあと、ゆっくりと笑った。
「……うん」
二匹は歩き続けた。
***
旅の途中、小川で休憩していた二匹だった。
ランカが水浴びをしながらはしゃぎ、マンジャロもその様子を眺めながらリラックスしていた。
しかし、その背後で静かに何者かが近づいていた。
カサッ。
不審な音に気づき、ランカが振り返る。
「……あれ?」
荷物がない。
「え!? ちょっと! 私たちの荷物が消えてる!!」
マンジャロも慌ててあたりを見回す。
「誰かに盗まれたのか!?」
その時、茂みの奥から小さな影が素早く動いた。
「いたぞ!!」
ランカが叫び、マンジャロと共に影を追いかける。
「待てー!!」
しかし、盗人の足は速い。
森の中を縦横無尽に駆け抜け、木々の間を軽やかに飛び移っていく。
「こいつ、めちゃくちゃ動きが素早い!」
マンジャロが息を切らしながら言う。
ランカは地面を蹴り、全力で追いかけた。
しかし、途中で盗人の姿を見失ってしまった。
「……逃げられた?」
ランカが悔しそうに地面を蹴る。
「とにかく今夜はここで寝よう。明日また探せばいい。」
マンジャロがそう提案し、二匹は簡単な寝床を作った。
***
翌朝。
森の奥を歩いていると、ランカの目が鋭く光った。
「……あいつ!」
昨日の盗人が、近くの木の上で熟睡していた。
「今だ!」
ランカは素早く駆け寄り、木に飛びついた。
「うわっ!?」
寝ぼけていた盗人はバランスを崩し、ドサッと地面に落ちた。
「やった!」
マンジャロとランカが駆け寄る。
「ご、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
もがく盗人の正体を見て、マンジャロとランカは驚いた。
「……猿?」
尻尾をピクピクさせながら、猿が必死に手を振る。
「名前はヴェルっていうんだ! 許してくれ!!」
マンジャロがため息をつきながら言う。
「お前、荷物はどこにやった?」
ヴェルは気まずそうに視線を逸らした。
「……僕の村にある……。」
ランカは腕を組み、厳しい目でヴェルを見つめた。
「案内しなさい!」
ヴェルは小さく頷き、しぶしぶ立ち上がった。
***
ヴェルの案内で村へ行くと、仲間たちが興味津々に二匹を迎えた。
「おーいヴェル! その二人、友達か?」
ヴェルは気まずそうに笑い、マンジャロとランカも複雑な表情を浮かべた。
「まあ、荷物を返してくれるならよしとするか……」
村人たちは、温かく二匹を迎えてくれた。
その夜、村では祭りが開かれた。
マンジャロとランカも誘われ、焚き火を囲んで村人たちと語り合った。
「まさか、こんな形で歓迎されるなんてね」
ランカが微笑むと、マンジャロも笑った。
「まあ、悪くないな。」
焚き火の光がゆらめく中、村の長老が静かに語り始めた。
「そういえば……お前たちは何を求めて旅をしているのじゃ?」
マンジャロとランカは顔を見合わせる。
「私たちは、自分たちのルーツを探しているんです。」
ランカの言葉に、長老はしばらく考え込んだ。
「それなら、あの日の不思議な光と関係があるかもしれん……」
「不思議な光?」
マンジャロが聞き返すと、長老は森の方角を指さした。
「ある夜、この森の奥に、まばゆい光が差したのじゃ。まるで天から何かが落ちてくるかのように……」
ランカは思わず息を呑んだ。
「その場所は……?」
「だが、その森は危険じゃ。決して一筋縄ではいかぬぞ。」
マンジャロはゴクリと唾を飲んだ。
「それでも……行くしかないんだ。」
ランカも決意を込めて頷く。
夜が更けるまで祭りは続き、二匹は一晩の安らぎを得た。
朝日が昇り、村には心地よい静けさが広がっていた。
マンジャロとランカは出発の準備を整え、村人たちに別れを告げるために集まっていた。
「本当に助かったよ。ありがとう」
マンジャロが深々と頭を下げると、村の長老が穏やかに頷いた。
「無事を祈っておるぞ。お前たちの旅が実りあるものとなるようにな」
ランカも微笑みながら「お世話になりました!」と礼を言う。
すると、その横でヴェルが大きく伸びをしながらのんびりと立ち上がった。
「さて、と。行くか!」
「……は?」
マンジャロとランカが同時に声を上げた。
「オレもついていくってば!」
ヴェルは当然のように言い放ち、得意げに胸を張る。
「この辺の地理はバッチリだし、オレがいれば心強いぞ?」
「えぇ……」
ランカがあきれたようにため息をつく。
「いや、そもそもお前は泥棒だっただろ!」
マンジャロがツッコミを入れるが、ヴェルは気にする様子もなく笑った。
「だからこそ、借りを返すんだよ!」
「勝手なやつ……」
そう呟きながらも、マンジャロとランカはしぶしぶヴェルの同行を受け入れた。
「まあ、道案内してくれるなら助かるけどな」
こうして三匹は、新たな旅路へと足を踏み出した。
***
「ところでさ、ヴェル」
歩きながらマンジャロが話しかける。
「何だ?」
「お前、この辺にライオンがいるって本当か?」
「いるぜ。めちゃくちゃデカくて強いライオンがな!」
ヴェルは自慢げに語り始めた。
「オレのじいちゃんなんて、昔ライオンと戦って生き延びたことがあるんだぜ!」
「えぇぇぇー!? そんなヤツがこの辺に!?」
マンジャロは驚き、ランカも警戒する。
「でも、大丈夫だって!」
ヴェルは得意げに笑いながら歩き続ける。
「ライオンなんか怖くねぇし、万が一出てきても俺がなんとかしてやるよ!」
しかし、その瞬間だった。
「ガルルル……」
低く唸るような声が響き、三匹はピタリと足を止めた。
「……まさか」
マンジャロが恐る恐る振り向くと、そこには巨大なライオンがいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
ヴェルが真っ先にくるりと背を向け、全力で逃げ出した。
「お、おい! 何とかするんじゃなかったのかよ!」
マンジャロとランカもすぐにヴェルを追うように走り出し、ランカが叫ぶが、ヴェルは泣きそうな顔で答える。
「いやいやいや、無理だろコレは!!!」
ライオンは獲物を逃がすまいと猛然と追いかけてくる。
「くそっ、このままじゃ捕まる!」
マンジャロが叫んだその時、目の前に崖が現れた。
「飛ぶしかない!!」
ランカが先陣を切り、勢いよくジャンプ。
マンジャロとヴェルも必死に飛び、ぎりぎりで崖の向こうへと着地する。
「助かった……」
安堵したのも束の間、ライオンも飛びかかってきた。
「え、うそ!?」
ランカが焦るが、ライオンは寸前で崖の端に爪をかけ、必死にぶら下がっていた。
「こ、これは……」
ライオンは必死に足をばたつかせるが、次第に力を失い、ついに崖下へと落ちていった。
「……勝った?」
マンジャロが呆然と呟く。
「ま、まあ、なんとか……な」
ヴェルはヘロヘロになりながら地面に倒れ込む。
三匹はしばらくその場で息を整えた。
***
森へと続く道を進むにつれ、周囲の空気は次第に変わっていった。
「……静かすぎるな」
ランカが警戒しながら呟く。
風もなく、木々は不気味なほど静まり返っている。
「……なんか、やだな」
ヴェルが小声で呟いた瞬間、
——バサッ!
どこかで枝が折れる音がした。
「っ!!」
三匹は一斉に身を固め、あたりを見回す。
「……何かいる」
マンジャロがゴクリと唾を飲む。
草むらがざわめき、黒い影が素早く横切った。
「クロヒョウ……?」
ヴェルが声を震わせる。
しかし、姿は見えない。
それなのに、確かに“何か”がいる。
もうすっかり辺りは暗くなり、昼間の温かさは消え、ひんやりとした空気が漂っていた。
「……気のせい?」
ランカが眉をひそめる。
しかし、その気配は徐々に強くなり、
——ふと前方の闇の中で、淡い光が揺らめいた。
「……あれは?」
マンジャロが目を凝らす。
「なんだか……呼ばれてるみたい」
ランカの言葉に、三匹は顔を見合わせる。
「行ってみるしかないな……」
光の方へと、三匹は慎重に歩みを進めた。